コラムCOLUMN
スキンケアの大衆化は江戸時代
今年は、マスクの着用も重なって様々な皮膚トラブルを例年以上に耳にしました。
国民の3人に一人が何らかのアレルギー症状を持っているといわれる現代。しかし、今から、約50年以上前には、日本ではアレルギーはほとんどありませんでした。もちろんアレルギーと認知されていなかったのでは。という意見もありますが、少なくとも、文献に残る程はなかったわけです。江戸時代の昔から、日光街道に有名なスギ並木はありましたが、江戸時代の日本人が花粉症に悩んだとの記録は見られないのです。
では、江戸時代には、肌荒れはなかったのでしょうか。
肌荒れも現代のように、紫外線、大気汚染、多様なストレス、不規則な食生活等により引き起こされるものはなかったでしょう。スキンケアが大衆的になったのは、江戸時代と言われています。
江戸時代は知恵の文化。調べていくと、江戸時代には、今でいう美容雑誌「都風俗化粧伝」という読み物がありました。化粧伝と書いてけわいでんと読むのですが、昔は、「けわい」は、身だしなみを意味していました。江戸、京都、大阪の三都で販売され、なんと大正12年までの110年にわたるロングセラーの読み物で、いかに人気だったのかがうかがえます。「この本のとおりにすれば、たとえ醜くても、たちまち美人になれる」というなんとも魅力的なフレーズから、「夫には、決して寝起きの素顔など見せてはならない。早起きをして…」と耳を塞ぎたくなるような事も記されています。
江戸時代の化粧水
江戸時代では、自ら手作りした化粧水を使用していました。朝露に濡れたバラの花を採取した蒸留水や、また、へちまを使った化粧水は今でも有名です。化粧水は、今の様な保水目的ではなく、白粉を溶いたり、下地として使われていました。化粧に使う水で化粧水と呼ばれるようになったのです。
体臭のケアとしては、香袋を忍ばせたり、シナモン(桂皮)やバジル(メボウキ)等の香薬を飲むことで、体内から香りを発するようにして対処していたようです。髪のケアには、シャンプーが月に1、2回だった時代、主に椿油を使用し、綺麗なツヤを出すようにしていました。洗顔の文化自体は、今から約1000年前の平安時代からと言われていますが、うぐいすの糞や米ぬかが使用され、これらには汚れを分解する酵素が含まれており、理にかなった洗顔方法だと言えます。源氏物語には、米ぬかで髪の毛を洗っていた様子も記されています。化粧に下地を使うことや、バラ、へちま、椿油、米ぬか等は、今でも普通に使用されています。
「都風俗化粧伝」では、しっとりとしたナチュラルな肌を「うっきり」と表現しています。時代が変化し、スキンケアは、やがて肌のメカニズムに基づいて原材料や、その効果と科学を語り始めます。しかし、ツヤやハリのある健康的な素肌、「うっきり」を目指している点は、源氏物語の時代から変わっていないことに、とても親しみが湧いてきます。
昔の女性が現代のスキンケアを見たらなんと言うのか。店頭のへちま化粧水を見ながら当時の理にかなった様々なスキンケアについて聞いてみたい気持ちになりました。
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